改正健康増進法の全面施行の年に「受動喫煙」を考える:Let us think about Passive Smoke.

 2020年4月1日から改正健康増進法が全面施行される。この法律の目的は、いわゆる「望まない受動喫煙」の害の低減を目指しているが、受動喫煙防止元年を前に改めて受動喫煙について考えてみたい。

受動喫煙に害はあるのは本当か

 タバコを吸う喫煙行為は法律に違反しない。だが、過去の最高裁判決では、喫煙の権利を濫用することは許されず、タバコを吸わない人が喫煙者のタバコ煙によって、何らかの害を受けたり迷惑を感じる場合には喫煙の自由は制限されるとしている(※1)。

 つまり、法的には受動喫煙にさらされない権利のほうが、タバコを吸う権利よりも優先的に上位になる。

 では、健康への害はどうだろう。タバコを吸わない人は、受動喫煙によって健康を害するのだろうか。

 受動喫煙による健康被害を世界で初めて立証したのは日本人研究者の平山雄だ(※2)。平沼の論文をきっかけにして世界中で研究が始まり、その後、多くの疫学研究がなされ、受動喫煙でタバコを吸わない人がタバコ煙(副流煙)によって様々な病気になることがわかってきた(※3)。

 こうした研究は枚挙に暇がないが、タバコに関する研究で悩ましいのは、健康に害があると考えられるタバコを使った意図的な臨床試験ができないことだ。受動喫煙の害はタバコを吸わない人を対象にするが、そうした人に無理にタバコ煙を吸わせるのは倫理的に不可能だ。

 喫煙者を対象にしてもこれは同じで、タバコに関する研究は一般的に集団を対象にして統計を使った疫学的な調査になる。

 例えば平山論文では、40代以上のタバコを吸わない家庭の主婦9万1540人を対象に、1966~1979年までの14年間を追跡調査し、肺がんによる死亡率と配偶者(夫)の喫煙行動の関連を調べた。平山は調査の結果、夫の喫煙と喫煙量が妻の肺がん発症リスクに関係していることを確かめている。

 では、受動喫煙による健康被害の研究は科学的に正しいのだろうか。平山論文については依然として統計的に間違っているといった言説が流布し続けているが、平山論文も含めた多くの医学研究を網羅的に探索し、比較検証するという手法によって科学的な正しさを明らかにできる。

受動喫煙の研究は中ぐらいの根拠か

 下の図をみて欲しいが、これはエビデンス・ベースド・メディシン(Evidence-Based Medicine、EBM、根拠に基づいた医学、※4)という健康に関する情報を評価するための図(EBMピラミッド)だ。医薬の研究には多種多様な手法があるが、それぞれの短所と長所を比べ、より正確性が高く正しい根拠として評価できるようになっている。

 基礎になるのが専門家の意見やしっかりした根拠に基づかない情報で、その上に個別の症例報告や症例対照研究、コホート(集団)研究などが乗せられていく。証拠として確かになっていくのは、その上の無作為化比較対照試験(Randomized Controlled Trial、RCT)や証拠に基づいたガイドライン、批判的に評価された要約などだ。

 そして最も上に位置するのは、複数の研究結果を統合して分析する体系的なレビュー(Systematic Review)やメタ解析(Meta-Analysis)となる。このエビデンス・ベースド・メディシンのピラミッドは、研究グループや機関によって臨床ガイドラインや無作為化比較対照試験のダブルブラインド研究が最上位に位置するなど多少、順番が異なることもあるが基本的には同じだ。

EBMピラミッド(Evidence Based Medicine Pyramid)。Via:K R. Reddy, “Evidence Based Medicine: A Paradigm for Clinical Practice.” Journal of Gandaki Medical College-Nepal, Vol.11, Issue2, 2018 Source:Science-Based Medicine

 平山論文などの受動喫煙に関するほとんどの疫学研究は、このピラミッドの中ほどに位置するコホート研究となる。中ほどなので根拠も中くらいだ。

 では、受動喫煙の健康への害も根拠は中ぐらいなのだろうか。

複数の研究を比較評価した結果

 これについては、国立がん研究センターが2016年8月31日に出したプレスリリース「受動喫煙による日本人の肺がんリスク約1.3倍~肺がんリスク評価『ほぼ確実』から『確実』へ」を出しているので参考になる。この発表は論文(※5)にもなっているが、EBMピラミッドの最上位である体系的レビューとメタ解析の手法を用いている。

 体系的レビューとメタ解析では、複数の関連研究を網羅的に抽出し、その中から信頼性の高いものを比較評価し、関連研究においてその結果がどれくらい一致しているかを吟味する。国立がん研究センターの論文の場合、医学研究のデータベースを利用し、検索語(※6)から関連研究を集め、426研究の中から9研究を抽出し、日本における自宅での受動喫煙と肺がんの関連研究を比較評価した。

 その結果、受動喫煙による肺がんの相対リスク(Relative Risk、RR)とオッズ比(Odds Ratio)は1.28倍となり、受動喫煙と肺がんとの間に統計学的に優位な関連が認められたという。プレスリリースのサブタイトルが「肺がんリスク評価『ほぼ確実』から『確実』へ」となっているのはそのためだ。

 また、国立がん研究センターによれば、受動喫煙による肺がんリスクの約1.3倍というのは、過去の研究結果(※3-3)とも一致する数字だという。

 この論文の他にも受動喫煙と関連疾患リスクとの官憲を明らかにした体系的レビューとメタ解析の研究は多い(※7)。EBMピラミッドの最上位である体系的レビューとメタ解析でこれだけ多くの根拠が出ている以上、受動喫煙による肺がんなどの関連疾患リスクの関係は明らかだ。

抽出した9研究(男女:夫と妻、上)と配偶者を女性(妻)に限定した8研究(下)のメタ解析による比較(信頼区間95%)。リスクは上で1.28倍、下で1.31倍になっている。Via:Megumi Hori, et al., “Secondhand smoke exposure and risk of lung cancer in Japan: a systematic review and meta-analysisu of epidemiologic studies.” Japan Journal of Clinical Oncology, 2016を一部改編

受動喫煙の被害を否定するJT

 ところで、国立がん研究センターがこのプレスリリースを出した同じ日、JT(日本たばこ産業)は「受動喫煙と肺がんに関わる国立がん研究センター発表に対するJTコメント」という反論を出した。これによるとJTは、受動喫煙と肺がんの関係を否定し、受動喫煙を単に喫煙者が周囲に迷惑をかけないマナーの問題に矮小化している。

 すると国立がん研究センターは約1ヶ月後の2016年9月28日、「受動喫煙と肺がんに関するJTコメントへの見解」を発表した。これによれば、今回の論文で抽出された9研究は恣意的に選んだのではなく、研究グループから独立した評価者が選ぶなどのメタ解析手法を定めた国際的なガイドラインに従っているとし、JTが反論であげた数字を用いても結果に矛盾なく、受動喫煙を受けた時間が多くなるほど肺がんリスクが上がることもわかっているとした。

 また、JTは受動喫煙と肺がんとの関係には科学的な説得力がないとコメントしている。これについて国立がん研究センターの見解は、WHO(世界保健機関)の下部組織であるIARC(国際がん研究機関)が受動喫煙を起こす環境タバコ煙には発がん性があると報告し、米国の公衆衛生総監報告(A Report of the Surgeon General)でも受動喫煙と肺がんの関係には十分な因果関係があると推定されるとしていると反論した。

 その後、JTは国立がん研究センターの見解に対して沈黙しているが、依然として受動喫煙と肺がんリスクの間に関係があることを否定し続けている。一方、JT以外の大手タバコ会社は、受動喫煙と肺がんリスクの関係について公式に認めている。

 受動喫煙防止をうたった改正健康増進法は国が定めた法律だが、財務大臣が1/3以上の株を持っているJTが受動喫煙による健康被害を否定していることを財務大臣はどう思っているのだろうか。このままでは、タバコ産業の監督官庁であると同時にJTの大株主でもある財務省に政策的な整合性がないということになる。

 タバコを吸わない人へ害を及ぼす受動喫煙は、タバコ会社にとって否定したい事実だ。JTに限らずタバコ会社は、これまで受動喫煙を否定しようとしてきた。タバコ会社の内部文書の開示により、フィリップ・モリスが受動喫煙と乳幼児突然死症候群との関係についての研究に資金を提供し、研究結果に対して受動喫煙の影響を不明確なものに変えようとしたことがわかっている(※8)。

 厚生労働省の研究班による推計では、受動喫煙によって年間に亡くなる人(男女合計)は約1万5000人(肺がん2484人、虚血性心疾患4459人、脳卒中8014人、乳幼児突然死症候群73人)だ。受動喫煙は明らかにタバコを吸わない人の健康を害しているし、その悪影響はかなり大きい。

 タバコ煙には、これ以下なら安全という閾値はない。タバコ会社が有害性の低減を主張する加熱式タバコも同じだ。分煙してもタバコ煙は完全にはなくならない。喫煙者が他者へ危害を加えないためには、タバコをやめるのが最も効果的なのだ。


※1:最大判 昭和45年9月16日 民集24巻10号1410頁 判例時報605号55頁

※2:Takeshi Hirayama, “Non-smoking wives of heavy smokers have a higher risk of lung cancer: a study from Japan.” BMJ, Vol.282, 1981

※3-1:James E. Enstrom, et al., “Environmental tobacco smoke and tobacco related mortality in a prospective study of Californians, 1960-98.” BMJ, Vol.326, 2003

※3-2:US Department of Health and Human Services, “The health consequences of involuntary exposure to tobacco smoke: a report of the Surgeon General.” Atlanta, GA: US Department of Health and Human Services, CDC; 2006

※3-3:Richard Taylor, et al., “Meta-analysis of studies of passive smoking and lung cancer: effects of study type and continent.” International Journal of Epidemiology, Vol.36, Issue5, 1048-1059, 2007

※3-4:Xue Hi, et al., “Meta-Analysis and Systematic Review in Environmental Tobacco Smoke Risk of Female Lung Cancer by Research Type.” International Journal of Environmental Research and Public Health, Vol.15(7), 2018

※4:David L. Sackett, et al., “Evidence based medicine: what it is and what it isn’t.” BMJ, Vol.312, 1996

※5:Megumi Hori, et al., “Secondhand smoke exposure and risk of lung cancer in Japan: a systematic review and meta-analysisu of epidemiologic studies.” Japan Journal of Clinical Oncology, Vol.46, Issue10, 2016

※6:「passive smok*」「 involuntary smok*」「secondhand smok*」「tobacco smok*」「Tobacco Smoke Pollution/adverse effects」「maternal smok*」「paternal smok*」「parental smok*」「wive* smok*」「wife* smok*」「husband* smok*」「Japan」(*はsmoke、smokingなどを含めるため)

※7-1:Hsien-Ho Lin, et al., “Tobacco Smoke, Indoor Air Pollution and Tuberculosis: A Systematic Review and Meta-Analysis.” PLOS MEDICINE, doi.org/10.1371/journal.pmed.0040020, 2007

※7-2:Hannah Burke, et al., “Prenatal and Passive Smoke Exposure and Incidence of Asthma and Wheeze: Systematic Review and Meta-analysis.” PEDIATRICS, Vol.129(4), 735-744, 2012

※8:Elisa K. Tong, et al., “Changing Conclusions on Scondhand Smoke in a Sudden Infant Death Syndrome Review Funded by the Tobacco Industry.” PEDIATRICS, Vol.115, No.3, 2005