「天皇」にとっての「学術研究」とは

 先日、上皇(平成の天皇)が新たに新種のハゼを発見し、英語の論文を学術誌に発表したことが報じられた。上皇の父、昭和天皇はヒドロ虫(ヒドロゾア)という刺胞動物や粘菌の研究に没頭したことが知られ、現天皇は歴史的な水上交通システムの論文を書き、弟の秋篠宮はナマズやニワトリの研究を、妹の黒田清子は野鳥の観察研究をしている。日本の天皇家にはこうした学術研究の気風があるようだが、それはいったいなぜなのだろうか。

昭和天皇のヒドロ虫研究

 研究者・学者として有名な国王といえば、スウェーデン王だったグスタフ6世アドルフ(1882-1973)だろう。彼は植物学や考古学、特にシャクナゲと古代ローマ時代について研究していたという。医師としての王族には、バイエルン公、カール・テオドール・イン・バイエルン(Herzog Carl Theodor in Beyern、1839-1909)がいる。彼が設立した眼科病院は現在もドイツのミュンヘンにあるという。

 また、映画『王様と私』のモデルとして有名なラーマ4世(モンクット王)は、自ら天文学を研究して皆既日食を予測したそうだ。ただ、天体観測に出かけた先でマラリアにかかって亡くなったという(※1)。

 日本の天皇で学術の分野で貢献したのは本格的に『源氏物語』の研究をした後醍醐天皇(1288-1339)が有名だ(※2)。また、徳川幕府に対抗するために学問を奨励した後水尾天皇(1596-1680)の存在も忘れてはならないだろう(※3)。

 このように世界には学術研究に没頭した王族がいなかったわけではないが、現代の日本の天皇家のように本格的な学術誌に英語の論文を発表したり、新種を発見したりするような人物を輩出する王家はあまり耳にしない。

 天皇の研究といえば、やはり昭和天皇(裕仁、Hirohito)だ。明治天皇は息子の大正天皇が病弱だったため、孫の昭和天皇や秩父宮を葉山や沼津の御用邸で自然に触れさせて育て、そのせいもあって昭和天皇は昆虫や植物に興味を抱いたのだという(※4)。

 昭和天皇は皇太子時代の1925年に赤坂離宮に研究室を開設し、天皇になった直後の1928年、満を持したように皇居内に生物学研究所を作った。吹上御所の東南に位置し、水田と畑が付属する。宮内庁によれば、現在の施設管理は皇室に対する年度予算によってなされているが、天皇や上皇の研究費は自身に対する予算の中からまかなっているという。

 昭和天皇は、ヒドロ虫と粘菌の研究に熱心に取り組んだ。ヒドロ虫というのは、刺胞動物門ヒドロ虫綱の総称で、サンゴのようなものやクラゲのようなもの、イソギンチャクのようなものと多種多様で分類もされない種も多く、生態もよくわかっていない。

 昭和のはじめ頃から、このヒドロ虫を相模湾で採集し、世界中から標本を集め、研究を続けた昭和天皇は、1988年に『相模湾産ヒドロ虫類』という書物を出版する。これは本来、全2巻となるはずのもので第1巻にはヒドロ虫の無銷亜目だけを収録した。

 だが、昭和天皇は1989年に崩御する。残りの有銷亜目のヒドロ虫については草稿やメモ、図版などを残していたため、それを元に山田真弓氏(北海道大学名誉教授)らの手によって1995年に第2巻が発刊された。

昭和天皇が残した『相模湾産ヒドロ虫類』の第1巻と第2巻。第1巻には相模湾で昭和天皇自身が採集した無銷亜目の標本67種が記載され、その中の17種が新種、数種が未同定の種だった。また、サンゴ様のヒドロ虫は無銷亜目には入れないとし、収録から外している。こうした標本の多くは、皇居内にある生物学研究所に保管されている。写真撮影筆者
昭和天皇が残した『相模湾産ヒドロ虫類』の第1巻と第2巻。第1巻には相模湾で昭和天皇自身が採集した無銷亜目の標本67種が記載され、その中の17種が新種、数種が未同定の種だった。また、サンゴ様のヒドロ虫は無銷亜目には入れないとし、収録から外している。こうした標本の多くは、皇居内にある生物学研究所に保管されている。写真撮影筆者

上皇が惹かれたハゼ

 こうした父親の姿を見て育ったのが上皇(明仁、Akihito)と弟の常陸宮(正仁親王)だ。上皇は若い頃からハゼ(条鰭綱スズキ目ハゼ亜目、Gobioidei)の研究と分類学に没頭し、常陸宮は後年、悪性腫瘍などの研究(※5)をするようになる。

 上皇と常陸宮は、戦後に思春期を迎え、昭和天皇の意向もあってGHQによって派遣された米国人女性の家庭教師から英語教育を受けるなどした。また、中学時代(1948年)には歴史や生物などに興味を持ち、父と同じように常陸宮と一緒に昆虫採集をしたり、沼津の御用邸で魚を採ったりするようになる(※4)。

 だが、上皇は学習院大学に進むと政治経済を専攻した。当時、学習院大学にはまだ生物学の学部がなかったからだが、彼はあまり政治経済には興味を抱けなかったようだ。

 その後、19歳の時、半年間をかけて昭和天皇の名代として欧米へ旅行したことが大きな体験になった。そうした上皇がハゼの分類研究を始めたのは、結婚後の1960年代のことだ。

 最初の論文はハゼの肩胛骨についてのもので、1963年に魚類学雑誌に掲載された(※6)。1998年、上皇は魚類学の研究成果によって英国王立協会からチャールズ2世メダルを世界で初めて授与されたが、その授賞スピーチでハゼの分類で肩胛骨が属を区別することができるのではないかと考え、ハゼの肩胛骨に着目したと述べている。

 その中で、ハゼ類は属や科が分化するにつれ、あちこちの骨が退化したり消失したりするという。そのため、骨が退化せずに残っている種類は、最も祖先に近いと考えられ、上皇は解剖学的なアプローチからハゼの分類ができるのではないかと考えたのだそうだ。

 生物の分類や系統発生の研究は、生命進化を考える上で重要な要素だ。いまだに多くの新種が発見されているが、この地球に生物は1億種以上いるとされ、その中で学名がつけられているのはまだ約180万種しかいないという。

 上皇は皇太子時代の1980年、カール・フォン・リンネの名前をつけて設立されたロンドン・リンネ協会の外国会員に選ばれているが、2007年にはリンネ生誕300年記念の基調講演もしている(※7)。リンネは生物を体系づける二名法を考案したが、この講演で上皇はハゼの分類について、骨によって類縁関係を、また頭部の感覚管と孔器列の配列によって種の違いを調べる分類学的な研究をしていると述べた。

 ハゼの化石はあまり多く発見されないため、地質年代的に短い時間で多様な種に分化したと考えられるが、上皇はDNA分析によってもハゼの種分化を明らかにするという研究論文も発表している(※8)。この2つの論文の前者では2群(種)のハゼの形態的な違いと分子時計による違いに着目し、後者ではミトコンドリアDNAによって太平洋側と日本海側のハゼの種分化を解明し、形態学的なアプローチの重要性について述べている。

葉山の御用邸での貴重な体験

 先日、上皇は2種の新種ハゼ発見し、日本魚類学会の学術誌に英語の論文を発表した(※9)。彼のハゼに関する論文は34編目となり、18年前の2種(※10)と合わせると10種の新種を発見している。

上皇が論文に発表した2種類のハゼのうちの1種(Callogobius albipunctatus)のオス。成魚は36.3mm、若い個体は11.7mm。「a」から「d」はホロタイプ(Holotype、基準となる正式な種)、「e」から「g」はペラタイプ(Peratype、基準にはならないが同じ種)。Via:Akihito, Yuji Ikeda,
上皇が論文に発表した2種類のハゼのうちの1種(Callogobius albipunctatus)のオス。成魚は36.3mm、若い個体は11.7mm。「a」から「d」はホロタイプ(Holotype、基準となる正式な種)、「e」から「g」はペラタイプ(Peratype、基準にはならないが同じ種)。Via:Akihito, Yuji Ikeda, “Descriptions of two new species of Callogobius (Gobiidae) found in Japan” Ichthyological Research, 2021

 では、なぜ上皇はハゼに興味を惹かれたのだろうか。

 三浦半島の葉山の御用邸の近くの海には多くのハゼがいて、小さな頃からハゼに親しんできたのだという。また、昭和天皇と昭和天皇の生物学の師でもあったハゼ研究の第一人者、冨山一郎(東京大学教授)氏から、ハゼは世界中から多種多様な標本を収集でき、葉山にも多いとすすめられ、冨山氏が招聘した若いハゼの研究者から講義を受けたことも大きかったようだ。(※4)。

 幼少時代に触れた葉山、沼津、那須などの自然豊かな御用邸の環境、そして親しく導いたアカデミアの存在が昭和天皇から続く天皇家の生物学研究の系譜を形作ってきた。また、ヒドロ虫といわれてもピンとくる人は少ないが、ムツゴロウで知られ、天ぷらや釣りなどで親しみのあるハゼを研究対象にしたのは、全国47都道府県全てに足を運び、天災の被災者に思いを寄せ、太平洋戦争の犠牲者を追悼してきた上皇の面目躍如といえる(※4)。

 上皇が発見・分類・命名したハゼには、上皇后が名付けた種もある。現在も形態や解剖学的なアプローチと同時にDNAの分析を行い、ハゼの研究分類を進めているようだが、これからも意欲的に新種を発見し、世界に例の少ない王族の学術研究として足跡を残していくことだろう。

※1:Boonrucksar Soonthornthum, “The Development of Astronomy and Emergence of Astrophysics in Thailand” The emergence of Astrophysics in Asia, 271-290,2017

※2:加藤洋介、「後醍醐天皇と源氏物語─『河海抄』延喜天暦准拠説の成立をめぐって─」、日本文学、第39巻、3号、104-107、1990

※3:本田慧子、「後水尾天皇の禁中御学問講」、書陵部紀要、第29号、1978

※4:Hideo Mohri, “Imperial Biologists -The Imperial Family of Japan and Their Contributions to Biological Research” Springer Biographies, oi.org/10.1007/978-981-13-6756-4, 2019

※5:Prince Masahito, et al., “Polycystic Kidney and Renal Cell Carcinoma in Japanese and Chinese Toad Hybrids” International Journal of Cancer, Vol.103, 1-4, 2003

※6:明仁親王、「ハゼ科魚類の肩胛骨について」、魚類学雑誌、第11巻、第1/2号、1963

※7:His Majesty The Emperor of Japan, “Linnaeus and taxonomy in Japan” nature, Vol.448, 2007

※8-1:Akihito, et al., “Evolution of Pacific Ocean and the Sea of Japan populations of the gobiid species, Pterogobius elapoides and Pterogobius zonoleucus, based on molecular and morphological analyses” Gene, Vol.427, 7-18, 2008

※8-2:Akihito, et al., “Speciation of two gobioid species, Pterogobius elapoides and Pterogobius zonoleucus revealed by multi-locus nuclear and mitochondrial DNA analyses” Gene, Vol.576, Issue2, 593-602, 2016

※9:Akihito, Yuji Ikeda, “Descriptions of two new species of Callogobius (Gobiidae) found in Japan” Ichthyological Research, doi.org/10.1007/s10228-021-00817-2, 2021

※10:Akihito, et al., ” A new species of gobidfish, Cristatogobius rubripectoralis, from Australia” Ichthyological Research, Vol.50, 117-122, 2003