極北の珍獣「イッカク」の角は何のためにあるのか:What are The narwhal horns for?
イルカやクジラの仲間、イッカクという生物がいる。頭の先から長く伸びた角が特徴だが、あれは歯なので正確には牙だ。最近の研究によれば、この角、長ければ長いほど生殖のチャンスが多くなることがわかったという。
イッカクの角の使い道
イッカクの角(Tusk、Horn)は、成熟したオス、まれにメスにみられ(※1)、左巻きに捻れながらほぼ真っ直ぐに伸びていく。この角は犬歯(Fang)が伸びたもので、根本に石灰質組織が堆積し続けることで象牙質の角が前方へ伸びていくが、まれに2本の犬歯が伸びる例もあるようだ(※2)。イッカクの角はかなり柔軟で全方向に曲げられ、この角の他にイッカクに歯はない。
また、我々の歯のように、角の内部には複雑な繊維構造を持つ光ファイバーのような多数の神経系が集まっている。そのため、角が一種のセンサーになっているのではないかという説もある。この説によれば、塩水からしみ込んだイオンチャネルによって海水の塩分濃度、氷の厚さ、水温、水圧、餌の動きなどの情報を得て、それを脳へ送っているのではないかという(※3)。
イッカクの角がなぜ左巻きの螺旋になっているのだろう。これについてはイッカクが泳ぐときに回転しながら推進するなので左巻きになるという説があったが(※4)、実際にイッカクの遊泳を観察した研究によれば、逆さまに泳ぐ生態はみられたものの、特に一方向に回転する泳ぎをしていたわけではなかったという(※5)。
この角、イッカク以外のクジラ類にはみられない独特の器官だが、いったい何のために使われているのか、長い間、議論が続いてきた。
最も有力な仮説は、この角が圧倒的にオスに多いことでメスを争う時の武器なるのではないかというものだ。この考え方はすでに19世紀からあり、ホッキョクグマやシャチなどの捕食者から身を守るための武器としての考え方もこの中に入り(※6)、このため、イッカクのオスの頭には角によると思われる傷がつけられたり、角はしばしば折れる(※7)。
角の使い道としては、北極の厚い氷に穴を開けて呼吸するためという説(※8)、海底の貝類などを掘るための道具という説(※9)などがある。だが、ほとんどのオスに角があるため、やはり性選択や社会的な順位付けのために発達したのではないかという説が有力だ。
245頭の角を調査
最近、米国のアリゾナ州立大学などの研究グループが、イッカクの角が性選択に利用されているという新たな証拠を示した論文を発表した(※10)。この研究グループは、1983年から2018年までに記録された245頭のイッカクの体長、角の幅と長さを比較分析した。
その結果、角が身体のサイズとは無関係に不均一な成長をすること、そして角の長さが幅に比べて多様なことを発見したという。このことから、オスの角は長ければ長いほど良く、太さよりも長さを優先した結果こうした成長をするのではないか、つまり角はメスがオスを選ぶ性選択の結果、長くなるのではないかと推定した。
イッカクの角は、身体が大きくなるにつれて次第に長くなるのではない。長さにバリエーションがあるということは、長さに何らかの理由があると推察されるが、この研究グループは自然環境でオス同士が長さを比べ合うことが観察されることから角の長さがメスの好みを反映しているのではないかと考えた。
一方、成熟したオスのイッカクの頭部に闘争によると思われる傷が多くみられることから、単に生存に適するオスの象徴として長さを誇示し合うだけでなく(※11)、他のオスを攻撃するために使用する可能性も示唆している。また、ごくまれにイッカクのメスでも角がはえたり、2本の角が発達するケースもあるため、ドローンなどを活用した今後のさらなる観察研究が必要としている。
リスクに脆弱なイッカク
ところで、イッカクの個体数は17万以上と推定され、国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストでは絶滅の危険性が少ないカテゴリー(Least Concern、LC)になっている。だが、集団ごとの遺伝的な多様性が低いため、環境変化や病気などが種全体へ及ぼす悪影響は大きいので注意が必要とする研究者もいる(※12)。
また、イッカクのオスの角は身体が大きく年齢を重なるほどに長くなるが、これを狙ったトロフィーハンティングのターゲットになっている。アフリカゾウでもみられる通り、経験を積んで知恵のある年かさの個体がいなくなれば集団自体の存続に悪影響が及ぶ危険性が高くなるが(※13)、イッカクでも同じことが起きているかもしれない。
北極海の海氷は,地球温暖化のために減少しているとされるが、イッカクが棲息する海域では逆に氷の厚さが増しているようだ。このため、イッカクの群が氷の下に閉じ込められて窒息死する事例が増えている(※14)。ちなみに、イッカクの個体識別は背びれのように隆起した突起で行う(※15)。
極北の海に棲息する不思議なクジラの仲間、イッカクだが、一角獣(ユニコーン)の伝説にも関係しているようだ(※16)。水族館などでの長期飼育の例はなく、最も研究が遅れているクジラ類の一種だというが、その角の秘密は次第に解き明かされつつあるようだ。
※1:S D. Petersen, et al., “Sex determination of belugas and narwhals: understanding implications of harvest sex ratio.” DFO Canadian Science Advisory Secretariat Research Document 2012/019. Fisheries and Oceans Canada, 2012
※2-1:K Brear, et al., “The mechanical design of the tusk of the narwhal (Monsoon monoceros: Cetacea).” Journal of Zoology, Vol.230, Issue3, 411-423, 1993
※2-2:J D. Currey, et al., “Dependence of mechanical properties on fibre angle in narwhal tusk, a highly oriented biological composite.” Journal of Biomechanics, Vol.27, Issue7, 1994
※2-3:Martin T. Nweeia, et al., “Vestigial Tooth Anatomy and Tusk Nomenclature for Monodon monoceros.” The Anatomical Record, Vol.295, 1006-1016, 2012
※3:Martin T. Nweeia, et al., “Sensory Ability in the Narwhal Tooth Organ System.” The Anatomical Record, Vol.297, 599-617, 2014
※4:Michael C S. Kingslry, Malcolm A. Ramsay, “The Spiral in the Tusk of the Narwhal.” ARCTIC, Vol.41, No.3, 236-238, 1988
※5:Rune Dietz, et al., “Upside-down swimming behaviour of free-ranging norwhals.” BMC Ecology, Vol.7, No.14, 2007
※6-1:R Brown, “Cetaceans of the Greenland Seas.” Proceedings of the Zoological Society of London, Vol.35, 552-554, 1868
※6-2:H B. Silverman, M J. Dunbar, “Aggressive tusk use by the narwhal (Monsoon monoceros L.).” nature, Vol.284, 57-58, 1980
※6-3:J R. Orr, L A. Harwood, “Possible agressive behavior between a Narwhal (Monodon monoceros) and a Beluga (Delphinapterus leucas).” Marine Mammal Science, Vol.14, No.1, 1998
※7:Helen B. Gerson, John P. Hickie, “Head scarring on male narwhals (Monsoon monoceros): evidence for aggressive tusk use.” Canadian Journal of Zoology, Vol.63(9), 2083-2087, 1985
※8:A G. Tomlin, “Mammals of the USSR and adjacent countries.” Cetacea, Vol.9, 1967
※9:M A. Newman, “Capturing Narwhals for the Vancouver Public Aquarium, 1970.” Polar Record, Vol.15, Issue99, 922-923,1971
※10:Zackary A. Graham, et al., “The longer the better: evidence that narwhal tusks are sexually selected.” BIOLOGY LETTERS, Vol.16, Issue3, March, 1, 2020
※11-1:Susan E. Riechert, “The Energetic Costs of Fighting.” Integrative & Comparative Biology, Vol.28, Issue3, 877-884, 1988
※11-2:Ummat Somjee, et al., “The hidden cost of sexually selected traits: the metabolic expense of maintaining a sexually selected weapon.” PROCEEDINGS OF THE ROYAL SOCIETY B, Vol.285, Issue1891, 2018
※12-1:Michael V. Westbury, et al., “Narwhal Genome Reveals Long-Term Low Genetic Diversity despite Current Large Abundance Size.” iScience, Vol.15, 592-599, 2019
※12-2:Marie Louis, et al., “Influence of past climate change on phytogeography and demographic history of narwhals, Monsoon monoceros.” PROCEEDINGS OF THE ROYAL SOCIETY B, Vol.287, Issue1925, April, 22, 2020
※13:David W. Coltman, et al., “Undesirable evolutionary consequences of trophy hunting.” nature, Vol.426, 655-658, 2003
※14-1:Kristin L. Laider, Mads Pater Heide-Jorgensen, “Arctic sea ice trends and narwhal vulnerability.” Biological Consevation, Vol.121, 509-517, 2005
※14-2:Kristin L. Laidre, et al., “Unusual narwhal sea ice entrapments and delayed autumn freeze-up trends.” Polar Biology, Vol.35, 149-14, 2012
※15:Marie Auger-Methe, et al., “Nicks and notches of the dorsal ridge: Promising mark types for the photo-identification of narwhals.” Marine Mammal Science, Vol.26, Issue3, 663-678, 2010
※16:Roger Caillois, R Scott Walker, “The Myth of Unicorn.” Diogenes, doi.org/10.1177/039219218203011901, 1982