家康が名付け親?「八丁味噌」を科学する

 愛知県岡崎市の特産品に八丁味噌がある。独特の風味と色、固有の製造法など、他の味噌にはない特色がある八丁味噌だが、どんな材料や成分、製法が作用しているのだろうか。この八丁味噌について、製造元の方々の話を含め、科学的に考えてみたい。

八丁味噌とは

 味噌には、使う麹によって麦味噌、米味噌、豆味噌などがある。味噌の主原料は大豆なので、大豆麹を使う豆味噌は、大豆と塩、水だけで作られる味噌ということになる。

 豆味噌は、特に愛知県、三重県、岐阜県の東海三県で作られている。麦麹や米麹は煮立てると風味が飛んでしまうが、名古屋名物の味噌煮込みうどんのように、豆味噌は煮込むほどに旨みが増す味噌とされる(※1)。

 豆味噌の中には、愛知県岡崎地域特産の八丁味噌がある。八丁味噌は、岡崎市八丁町(八帖町から町名変更)にあるカクキュー(合資会社八丁味噌、早川家)、まるや(株式会社まるや八丁味噌、大田屋)の2社が江戸時代初期から作り続けている。

2社の古い屋号を掲げた看板。写真撮影筆者。
2社の古い屋号を掲げた看板。写真撮影筆者。

 八丁味噌は、他の豆味噌にはない固有の製法で独特の風味がある味噌として長く愛されているが、岡崎城から西へ八丁(約870メートル)行った場所で作られる味噌なのでその名が付いたとされている。カクキューの早川ちかこ氏は「徳川家康の茶道の師匠だった金阿弥という人が当地に住んでいて、家康からどこに住んでいるのか問われた時に『岡崎城から西へ八丁のところ』と答え、それが地名になった」という。

 また、まるやの浅井信太郎氏は「江戸で八丁味噌が話題になった際、どこで作られているのかということで岡崎城から西へ八丁の場所の味噌蔵から名付けられた」と説明する。いずれにせよ、岡崎城から西へ八丁の場所で作られた味噌というわけだが、岡崎城は徳川家康が生まれた城であり、東海道が整備された江戸初期から八丁味噌が作られ始め、東西の往来によって全国にその名が広まったと考えられる。

岡崎市の旧東海道沿いにあるカクキューの旧店舗。写真撮影筆者。
岡崎市の旧東海道沿いにあるカクキューの旧店舗。写真撮影筆者。

 2社の創業は戦国時代末とされ、カクキューはその始祖である早川久右衛門勝久が桶狭間の戦いで今川方として戦い、敗れた後、矢作川に近い願照寺にかくまわれ、そこで味噌作りを始めたとする。また、まるやには、少年時代の豊臣秀吉(日吉丸)が蜂須賀小六に追われ、味噌作りの重し石を投げ込んで難を逃れたとされる井戸があり、商売の始めは室町期に遡るとする。

まるやの蔵の中にある豊臣秀吉(日吉丸)が石を投げ込んだとされる井戸。写真撮影筆者。
まるやの蔵の中にある豊臣秀吉(日吉丸)が石を投げ込んだとされる井戸。写真撮影筆者。

丸大豆と塩、水だけ

 では、八丁味噌には他の味噌と比べ、その作り方はどのように異なり、どのような特徴の違いがあるのだろうか。

 八丁味噌は、まず丸大豆を水につけた後、蒸してから玉麹を作る。豆味噌を作るための麹は、こうして蒸した丸大豆を臼などでついて粉砕し、専用の機器に入れて玉状に丸め固め、乳酸菌や酵母などの麹菌を繁殖させ、玉麹にする。

 八丁味噌以外の豆味噌は指先大から直径5センチメートルほどのバラ麹を使うが、八丁味噌は直径約70センチメートルまでの大きな玉麹を用いるのが特徴だ。八丁味噌の玉麹がなぜ大きな球状にしているのかといえば、蒸した丸大豆に枯草菌などの有害な細菌を繁殖させにくくし、アンモニアの発生を抑制させる効果を期待したものだ。これは小さなバラ麹より大きな玉麹のほうが、単位重量当たりの表面積を小さくできるためであるという。

 カクキューの早川氏は「玉麹が大きいことで内部で嫌気性(空気を嫌う)味噌蔵固有の乳酸菌や酵母などが多くなり、八丁味噌特有、蔵特有の酸味や渋みなどを醸し出す」という。八丁味噌の玉麹には乳酸菌による生酸菌の数が多いとされるが、これは丸大豆のみなので細菌が繁殖しやすい上、大きな玉麹のために嫌気性の乳酸菌にとって嫌気的な条件がそろっているからではないかと考えられている(※2)。

 ただ、大きな玉麹のため、八丁味噌は熟成するのに時間がかかる。また、玉麹の表面のみに増殖する酵母の種類や量は少ないようだ。

 この玉麹に塩(吉良塩)と水を加え、厚さ11センチメートルほどの吉野杉で作られた木樽(直径1.8メートルから2メートル、六尺桶)に入れ、職人が足で踏み固めながら仕込んでいく。木樽を使うのも八丁味噌の特徴であり、また冬の寒い時期に仕込んだ(寒仕込み)後、味噌の上に重し石を乗せるが、八丁味噌2社は矢作川の河原で採取した3トンほどの自然石を樽の上に円錐状に組み上げるのも特徴となっている。

グルタミン酸、アミノ酸、メラノイジンなどを含む

 この重し石は、樽の内部の空気を抜いて乳酸菌などの嫌気性細菌を活動させ、酸化を抑制するために乗せられ、まるやの浅井氏は「八丁味噌の味噌蔵は、特に温度管理をせず、夏は暑く冬は寒いため、樽の中の味噌は季節による温度変化で自然な対流循環をしている」という。寒仕込みの後、二夏二冬、2年以上、熟成させる。熟成した八丁味噌は、スコップで掘り起こすほど固い。固いため、パック詰めなどの製品にするのにも手作業で行う。

甲子(きのえね)の年、1924(大正13)年に作られたカクキューの蔵の中にある重し石を乗せた八丁味噌の木樽。写真撮影筆者。
甲子(きのえね)の年、1924(大正13)年に作られたカクキューの蔵の中にある重し石を乗せた八丁味噌の木樽。写真撮影筆者。

 八丁味噌の成分の特徴は、他の味噌に比べ、全窒素(有機、無機を合わせた窒素)と脂質が多く、糖質が少ないことだ。これらの窒素は、脂質が脂肪酸に分解され、丸大豆由来のタンパク質がアミノ酸に分解されているからで、八丁味噌のアミノ酸は、旨み成分であるグルタミン酸、必須アミノ酸であるロイシン、イソロイシン、コラーゲンを構成するプロリンなどが多い(※3)。

 カクキューの早川氏によれば、グルタミン酸が多い八丁味噌は鰹だしなどのイノシン酸と合わせると美味しい。また、黒褐色の八丁味噌には、抗酸化作用のあるメラノイジンが多く含まれているという。

 八丁味噌が作られ始めたのは江戸時代初期とされるが、保存性と耐寒性が高く、固いために携帯に便利なため、当時の武士に好まれた。まるやの浅井氏は「戦国時代末期の武士は、芋茎(ズイキ)を兜の緒や腰紐にし、それに八丁味噌を練り込んで非常用の食料にした」という。

 以上をまとめると、八丁味噌は江戸時代初期から徳川家康が生まれた岡崎城に近い場所で作られ始めた。丸大豆と塩、水のみで作られ、塩分が少なく、必須アミノ酸やメラノイジンが多く含まれ、煮込むほどに風味が出るという他の味噌にはない特徴があるのが八丁味噌ということになる。


※1-1:本間伸夫ら、「加熱によるみそ汁の低沸点香気成分の変化」、家政学雑誌、第24巻、Issue3、1973

※1-2:笠原加代子、西堀幸吉、「イワシ八丁みそ煮香気成分」、日本水産学会誌、第48巻、第7号、1982

※1-3:石原和夫ら、「味噌汁中の香気成分の加熱に伴う変化」、県立新潟女子短期大学研究紀要、第45集、2008

※2:好井久雄、「伝統的みそ玉麹における微生物群落」、日本醸造協会雑誌、第60巻、第2号、1965

※3:石井謙二、「八丁味噌の苦味について」、日本醸造協会雑誌、第61巻、第4号、1966