タバコを吸う料理人の味覚を信用できるか:喫煙「寿司」職人論争を考える

 素手を使って調理する寿司職人が喫煙者だった場合、不快になるかならないか、といった論争が、ひところネット上で起きたことがある。同じような議論はつきないが、喫煙者の料理人の味覚、果たして信用できるのだろうか。過去の研究から考えてみる。

喫煙と嗅覚の関係は

 ヒトの嗅覚や味覚は複雑で、生まれ育った環境や生活習慣、体調、かかっている病気、加齢などによって影響される。その最たる物がタバコだ。喫煙者の嗅覚、味覚について調べた研究の歴史は古く、1950年代からいろいろな仮説が提唱されてきた(※1)。

 喫煙者と非喫煙者、受動喫煙者の嗅覚を比較したスウェーデンの1980年代の研究によれば、タバコ煙を吸ったりさらされた場合、嗅覚障害を起こす危険性が考えられたが、嗅覚の慣れと混在して自覚的な違いはなかなかわからなかったという(※2)。また、紙巻きタバコと電子タバコの喫煙者の嗅覚の違いを調べたオーストリアの最近の研究によれば、非喫煙者の嗅覚が最も優れているようだ(※3)。

 喫煙と嗅覚については、被験者の慣れなども作用して矛盾した結果が出ることがあるが、米国のペンシルバニア大学の研究グループが、638人を対象に調べたところ、タバコを吸う本数が少ないほど、また禁煙後の期間が長いほど、嗅覚の障害が良くなった。また、喫煙者は非喫煙者と比べ、約2倍、嗅覚障害を示したという(※4)。

 米国の3528人(1526人の元喫煙者を含む)の57歳以上の高齢者を調べた研究によれば、禁煙後15年以上経つと嗅覚機能が元に戻ることがわかったという。逆にいえば、タバコをやめて15年経たないと元に戻らないということだが、高齢者は嗅覚の低下によって心血管疾患の発症を予測することができるようだ(※5)。

 このように喫煙と嗅覚の関係については、すでに悪い影響があるという結論が出ている。対象11論文を比較した研究によれば、喫煙者の嗅覚は統計的に有意に低下し、嗅覚障害のリスクは非喫煙者より6割ほど高くなることがわかっている(※6)。

喫煙と味覚の関係は

 では、喫煙と味覚の関係はどうだろうか。味覚の官能試験は最近になって発達した技術なので、嗅覚ほど古い研究は多くない。

 甘味、塩味、酸味、苦味の4つの味覚について、男女で36人の喫煙者(1日10本以上)と33人の非喫煙者を比較した日本の研究グループの調査によれば、喫煙者は4つ全ての味覚で感覚が鈍くなっていた。同研究グループは、喫煙者はおそらく味蕾の数が少なくなっているのではないかと述べている(※7)。

 味覚を感じる舌の表面には、乳頭という小さな突起があり、この乳頭に味蕾がある。これまでのいくつかの研究から、喫煙者では特に舌の先にある茸状(じじょう)乳頭の数が少なくなっていたり血管に変化が起きているのではないかと考えられている(※8)。

 タバコを吸うと、特定の味覚を強く感じるという研究もある。

 米国の2374人を対象にした味覚に関する調査によれば、喫煙者は苦味(キニーネ)と酸味(クエン酸)を非喫煙者より強く感じることがわかった(※9)。また、別の米国の研究グループが、砂糖を加えたココア、塩味の野菜ジュース、酸味のあるオレンジジュース、苦いブラックコーヒーといった飲料に対する味覚と喫煙の関係を調べたところ、これらを飲む5分前にタバコを吸った喫煙者は、実験の2時間前までタバコを吸わなかった人や非喫煙者より、特にブラックコーヒーを苦く感じたという(※10)。

 喫煙と嗅覚では、喫煙量と禁煙後の期間が機能障害の度合いと関係していたが、喫煙と味覚でも同じような結果が出ている。

 83人の喫煙者と48人の非喫煙者、24人の禁煙した過去喫煙者の味覚を比較したフランスの研究によれば、ニコチン依存度が高いほど味覚の感度が低く、禁煙期間が長くなるほど味覚の感受性が戻ったという(※11)。これも味蕾の密度や味蕾の再生回復の速度と喫煙が関係していると考えられる。

 以上をまとめると、喫煙によって嗅覚が鈍くなり味覚の感度にも影響が出ることがわかっているが、タバコをやめると嗅覚、味覚ともに感度が戻るようだ。

 ひところネット上で議論になっていたのは喫煙者の寿司職人に対する好悪の感情だが、タバコを吸うと味覚、嗅覚が鈍ったり、非喫煙者とは違った感覚になるのは明らかだ。指先に付着したタバコ成分や臭いがうつった寿司はカンベンだが、料理人が喫煙者だった場合、調理する料理の味に影響が出ている可能性は十分にある。


※1-1:B. Bronte-Stewart, “Smoking and Cardiovascular System” BMJ, 4993, 15, September, 1956

※1-2:L H. Krut, et al., “Taste perception in Smokers and Non-Smokers” BMJ, 5223, 384-387, 11, February, 1961

※2:R. Ahlstrom, et al., “A comparison of odor perception in smokers, nonsmokers, and passive smokers” American Journal of Otolaryngology, Vol.8, Issue1, 1-6, 2, January, 1987

※3:Dorota Majchrzak, et al., “The effect of tobacco and electronic cigarettes use on the olfactory function in humans” Food Quality and Preference, Vol.86, December, 2020

※4:R E. Frye, et al., “Dose-Related Effects of Cigarette Smoking on Olfactory Function” JAMA, Vol.263(9), 1233-1236, 2, March, 1990

※5:Jesse K. Siegel, et al., “Olfactory dysfunction persists after smoking cessation and signals increased cardiovascular risk” International Forum of Allergy & Rhinology, Vol.9, Issue9, 977-985, 31, July, 2019

※6:Gaurav S. Ajmani, et al., “Smoking and olfactory dysfunction: A systematic literature review and meta-analysis” The Laryngoscope, Vol.127, Issue8, 1753-1761, 31, May, 2017

※7:Kaoru Sato, et al., “Sensitivity of Three Loci on the Tongue and Soft Palate to Four Basic Tastes in Smokers and Non-smokers” Acta Oto-Laryngologica, Vol.122, Issue4, 7, July, 2009

※8-1:Pavlidis Pavlos, et al., “Evaluation of young smokers and non-smokers with Electrogustometry and Contact Endoscopy” BMC Ear, Nose and Throat Disorders, Article number: 9, 20, August, 2009

※8-2:Asim Mustafa Khan, et al., “Comparison of Taste Threshold in Smokers and Non-Smokers Using Electrogustometry and Fungiform Papillae Count: A Case Control Study” Journal of Clinical & Diagnostic Research, Vol.10(5), ZC101-ZC105, May, 2016

※9:Mary E. Fischer, et al., “Taste intensity in the Beaver Dam Offspring Study” The Laryngoscope, Vol.123, Issue6, 1399-1404, 26, April, 2013

※10:Sungeun Cho, et al., “The Effect of Cigarette Smoking on Chemosensory Perception of Common Beverages” Chemosensory Perception, Vol.10, 1-7, 7, December, 2016

※11:Fabrice Cheruel, et al., “Effect of cigarette smoke on gustatory sensitivity, evaluation of the deficit and of the recovery time-course after smoking cessation” Tobacco Induced Diseases, Vol.15, Article number:15, 28, February, 2017