タバコが「ストレス」を軽減するという「勘違い」

 よく喫煙者は「タバコでストレスが軽減された」などという。タバコ会社はテレビのコマーシャルでリラックスした雰囲気を醸し出そうとしているが、タバコがストレスを軽減するのは本当なのだろうか。

ニコチン切れの恐怖とニコチン補充された解放感

 新型コロナのパンデミックは、我々の人生や生活に大きな影響を及ぼしているが、喫煙者の行動変化もその一つだ。外出規制や感染への恐怖などにより、コロナ禍の我々は強いストレスを感じている。喫煙者もタバコの本数が増えたり、禁煙者が再喫煙したり、感染や死亡のリスクへの恐怖のために禁煙したりタバコの本数を減らしたりする(※1)。

 ところで、加熱式タバコ(新型タバコ)を含むタバコ製品には、例外なくニコチンが入っている。ニコチンの依存性はアルコールやLSDより強く、コカインよりやや下程度だ(※2)。ニコチンは、肺から数秒で脳へ到達し、短期間でニコチン依存症という中毒になる(※3)。

 我々の脳の中には、報酬系と呼ばれるドーパミン神経系があり、ドーパミンという脳内物質を出させる。このドーパミンは、うれしいときや気持ちいいとき、恋愛やアトラクションなどでドキドキしたとき、緊張したときなどに放出される。

 ニコチンも脳のドーパミン神経系へ作用する。ニコチンによるドーパミン放出は、タバコを吸うことによって生じる強制的な作用だ。

 正常なドーパミン放出と違い、ニコチンによる刺激が繰り返されることで、喫煙者の脳は次第に反応が鈍くなる。やがて、タバコを吸ってニコチンを補充しないとドーパミンが放出されにくくなってしまう。

 ニコチンが切れ、ドーパミンが出にくくなると脳がストレスを感じる。喫煙者は、そのストレスを軽減させるためにタバコを吸う。喫煙者が緊張したときにタバコを吸いたがるのは、ニコチンを補充したいためで、これが繰り返されてニコチン依存症になる。

喫煙者はストレス耐性も低くなる

 タバコを吸うと、ニコチン切れのストレスだけが軽減され、リラックスできたような気になる。だが、喫煙者は、このニコチンによるストレス軽減をストレスが解消されたと錯覚、勘違いしているだけだ。

 つまり、ニコチン依存症になった喫煙者は、ニコチン切れの恐怖とタバコを吸ってニコチンを補充したときの偽り(勘違い)の心理的解放に支配されていることになる。

 一方、タバコを吸わない人の脳は、緊張や恐怖を感じたときにもドーパミンが自然に放出される。これは、辛い試練や過酷な環境によるストレスを乗り切るために働く機能だ。

 ニコチンによって鈍感になってしまった喫煙者の脳は、こうした反応が鈍くなり、ストレス耐性が低くなってしまう。ドーパミンが出にくくなっているため、ニコチンに頼ってなんとか緊張をやわらげようとすることもあるというわけだ。

 喫煙者は、自らわざわざストレスを生み出すタバコを吸っているとも言える。ニコチン依存を解消することで、ニコチン切れのストレスは軽減するが、しばらくするとまたニコチン切れのストレスが溜まり、タバコに手を伸ばしてしまう。ニコチン依存症になると、こうしたサイクルから抜け出せなくなる。

ストレスを利用したタバコ産業

 このように、タバコがニコチン切れ以外のストレスを解消したり軽減したりすることはない。むしろ、逆にタバコはニコチン切れというストレスを生み出している。

 だが、よくタバコを吸うことでストレスが軽減すると言う喫煙者も多い。実は、こうした考えはタバコの健康への害を他へそらせるためのタバコ産業による作為的な印象操作だ。

 ストレスのほとんどは、ストレッサー(Stressor、外的要因)が原因で起きる。このストレッサーは、暑さや寒さ、騒音などの環境要因、栄養不足や飢餓、肉親の喪失、解雇やハラスメントなど社会的疎外、睡眠や休養の欠乏といった、本人が望まない外的な事象のことだ。

 ストレッサーという概念を提唱したのは、ハンガリー系カナダ人の内分泌学者、ハンス・セリエ(Hans Selye、1907~1982)で(※4)、彼は身体の内的な平衡状態(ホメオスタシス、Homeostasis)を乱すストレッサーの影響によって多種多様な病気が引き起こされると主張した。

 この主張は当初、それほど知られてはいなかったが、タバコ産業がセリエに接触し、喫煙によるストレス軽減という考えを取り入れるようになってから一般に広まっていく。

 では、なぜタバコ産業はセリエに近づいたのだろうか。

 20世紀の半ば頃になり、タバコが健康に害を及ぼすという研究が少しずつ出され始め、社会的にも大きな問題になっていた。タバコ産業は、そうした風潮の火消しに躍起になる。

 米国のタバコ産業が、1958年にタバコに有利な研究に対する資金提供をするための団体(the Council for Tobacco Research、CTR)を設立したのもそれが目的だった。タバコの健康の害を否定するため、医師や研究者を抱き込み、研究資金などを提供して影響を及ぼそうとしたのだ。

タバコ産業に取り込まれた「ストレスの父」

 タバコ産業は「ストレス悪玉論」を展開するセリエも利用しようとした。タバコがストレスを軽減することを科学的に裏付けてもらい、またタバコ会社が訴訟に巻き込まれた際にセリエの研究論文などを利用することによって反論できないか考えたというわけだ。

 こうしたタバコ産業からのアプローチに対し、セリエはタバコ会社から資金提供を受け、大手タバコ会社のフィリップ・モリス社が主宰した1972年の国際会議に協力し、実際にタバコ会社はタバコ裁判でセリエの学説を利用するなどした。

 そして、セリエは広報用の映像作品やパンフレットに登場し始め、タバコ産業側へ深く取り込まれるようになっていく。やがて、タバコ産業の売り込みもあり、セリエは「ストレスの父」と呼ばれるようになった。

 こうした経緯は、2011年に米国の公衆衛生学会誌『American Journal of Public Health』に出た「ストレスの父、ビッグ・タバコと出会う(The “Father of Stress” Meets “Big Tobacco”)」という論文(※5)に明らかだ。ちなみに、この論文はタバコ会社などの内部文書の分析をもとに書かれているが、今もタバコ会社はテレビのコマーシャルでタバコとリラックス、ストレスの軽減を結びつけようという印象操作に必死だ。

ストレスを軽減しないタバコ

 ストレスの感じ方は、個々人で大きく異なる。少しくらいのストレスがあるほうが、むしろ健康でいられる場合も多いが、脳卒中や心筋梗塞などの心血管疾患、胃潰瘍などの炎症、うつ病などの精神疾患など、ストレスが引き金になって発症する病気は少なくない。

 タバコでストレスが解消されないとしたら、喫煙者はどうすればいいのだろうか。新型コロナの重症化や死亡リスク、ワクチンの効果、後遺症などに対する喫煙の悪影響、そして肺がん、COPD(慢性閉塞性肺疾患)、心血管疾患などのタバコ関連疾患にかかるリスクを考えれば、やはり禁煙することが最もいいだろう。

 禁煙したばかりのニコチン切れについては、タバコ以外で気を紛らわせ、ストレスを軽減できるモノやコトに換えることをお勧めする。例えば、ガムを噛んだり、タバコ休憩の代わりに軽いストレッチをしたりするといい。

 禁煙サポートをしている薬局や薬店、禁煙外来などへ行けば、ニコチン切れのストレスを感じた際にどうしたらいいのか、適切なアドバイスを得ることができる。

 ネット上でタバコとストレスが話題になるように、この関係はあまり知られていない。ストレスを作るのはまさにタバコであり、喫煙というのはマッチポンプの繰り返しだ。

 禁煙して脳内のドーパミンの放出が正常に戻れば、ニコチン切れのストレスから解放され、ストレス耐性も取り戻せるだろう。


※1-1:Jeroen Bommele, et al., “The double-edged relationship between COVID-19 stress and smoking: Implications for smoking cessation” Tobacco Induced Diseases, Vol.18, 27, July, 2020

※1-2:Giulia Carreras, et al., “Impact of COVID-19 lockdown on smoking consumption in a large representative sample of Italian adults” Tobacco Control, Vol.31, Issue5, 29, March, 2021

※1-3:Emily Johonston, et al., “The Impact of the COVID-19 Pandemic on Smoking, Vaping, and Smoking Cessation Services in the United Kingdom: A Qualitative Study” NICOTINE & TOBACCO RESEARCH, doi.org/10.1093/ntr/ntac227, 11, October, 2022

※2:David Nutt, et al., “Development of a rational scale to assess the harm of drugs of potential misuse.” The LANCET, Vol.369, No.9566, 1047-1053, 2007

※3:Neal L. Benowitz, “Nicotine Addiction.” The New England Journal of Medicine, Vol.362(24), 2295-2303, 2010

※4:Hans Selye, “A Syndrome produced by Diverse Nocuous Agents.” nature, 1936

※5:Mark P. Pettcrew, et al., “The “Father of Stress” Meets “Big Tobacco”: Hans Selye and the Tobacco Industry.” American Journal of Public Health, Vol.101(3), 411-418, 2011